<メンバー>
たろー、なお、たばっち
<コース1日目>
和佐又ヒュッテ(7:45)~大普賢岳(10:45)~国見岳(11:30)~七曜岳(12:30)~行者還岳(13:50)~行者還小屋(14:20)
11月の3連休は大峰へ。
全て繋げるには健脚者でも六日かかるという大峰奥駈道を分割して歩こう。ということでメンバーにて熟考を重ねた結果、女性禁制の山上ヶ岳を避けて大普賢岳から釈迦ヶ岳まで、和佐又キャンプ場から前鬼まで抜けることになりました。
木曜日の夜に何とか仕事を終えて請求書を発送しに郵便局に寄って、行動食を買い出しして家に一瞬帰り、前夜泊用のテントを積んで、尾鷲でたろーさん号と合流した後2台で下北山村へ向かいました。池原ダムのほとりの国道169号から前鬼林道へ入ると道は荒れ荒れで、落石や折れた枝が行く手を阻みます。たろーさん号はブイブイ飛ばして先に行ってしまったので、真夜中の孤独なドライブで心細くな ります。折れ枝がバンパーに引きずられるたびに下りて取り除くので中々先に進みません。
やっとの思いでデポ地の林道終点にたどり着くと帰りはたろーさんが運転を代わってくれました。良かった~~~~てか、何でこの恐ろしい林道をそんなに飛ばせるんだろう??と思う深夜1時です。
その後和佐又キャンプ場に移動して仮眠するはずだったのですが、国道が工事の為時間規制通行止めになっていまして通り抜けできません(-。-; 仕方がないので通れるようになるまで道端にて仮眠です。獣の唸り声に怯える恐怖の一夜でありました。
翌朝和佐又キャンプに移動すると、風が強くて寒いのですが、人懐こい看板犬?が出迎えてくれま した。まだ和佐又ヒュッテの受付の方はみえないようなので、登山届けに駐車代後払いの連絡を記入して出発です。
しばらくは歩きやすい登山道が続きます。今回は和佐又山には登らず大普賢岳から奥駈道を南下しますが、日帰りで行くならば大普賢岳から七曜岳に縦走した後、無双洞経由で下山するという和佐又山もルートに入れた周回コースがメジャーです。洞窟など沢山あるアドベンチャーなコースなのでまた春にでも行ってみたいと思います。
登っていくにつれてチラホラと雪が舞ってきました。寒気が入っているらしいので、もしかしたら山頂は積もっているかも??
登山道の途中には大きな岩の下が穴になっている窟がいくつかありました。古の修験者はこの下に寝泊まりして雨をしのいだのでしょう。
ハシゴを登ったり岩をよじ登ったりしながら大普賢岳の山頂にたどりつきました。稜線は風がとっても強くので木の枝に霧氷が付いていて綺麗です。しばらく歩いて振り返ると先ほど登った大普賢岳のとなりに小さな山並みがぽこぽこぽこと連なる可愛い景色。大普賢岳からの子普賢、孫普賢?だそうです。上のほうがガスに隠れてしまって残念ですが。
七曜岳までの縦走路は台風の影響でしょうか、少し鎖場のつなぎ目が抜けている箇所があり、緊張を強いられるトラバース、岩場が続きました。慎重にクリアして七曜岳を過ぎると、和佐又キャンプ場に下るルートとの分岐が出てきました。私たち以外の皆さんはほぼ周回コースのようで、そこからは登山者が見当たりません。道も踏み跡が少し薄くなり、ところどころ倒木が激しく道を塞いでいるので跨いだり潜り抜けたり。
9月にノウナシ谷から大普賢岳を目指そうとして通行止め三昧だった『大峰ドタバタ珍道中』(リンクhttp://suzuhai.blog.fc2.com/blog-entry-489.html)の時に天川村役場の方が、稜線は台風の影響で荒れていると聞かされていましたが、こんなに大きな木が根こそぎ倒れるなんて信じられません。今は倒れたてなのでまだ木の形が残っているけど、根っこから倒れてしまった木は枯れてしまっていずれ伊勢湾台風での大台ヶ原のようにのっぺらした笹原になってしまうのでしょうか?
山とは、自然とは…?大きな循環の一部なのかもしれないけど、綺麗な景色が変わってしまうのは寂しいなぁとか色々考えながら歩いていると、行者還岳に着きました。
ここは展望はないけれど、山頂に錫杖が刺してあります。避難小屋まですぐのはずですが、そのまま真っ直ぐ行くのはとんでもない崖になっているので、一旦戻ってから回り込むように道が付いています。険しすぎて役の行者でさえ一度引き返したというのが名前の由来です。
避難小屋に着く前に水場がありました。ちょろちょろなので汲むのに時間がかかります。そこから10分くらい進むとようやく本日のお宿、行者還避難小屋にたどり着きました。綺麗な立派なログハウスで、2階建です。トイレも付いています。ボットン便所だけど。ペーパーもありました!
一番乗りでまだ誰もいません。部屋が分かれているので、私たちはこぢんまりとした個室タイプのところを陣取った。そのうちソロの方が到着されて大部屋の方に入られたようです。
1日目夕ごはんの担当はたろーさんが引き受けてくれました。下準備をしてくれたのはゆうちゃんだけど、担ぎあげたのは自分だ。と自信満々にザックの中から食材を取り出すたろーさん。袋いっぱいの水菜に白菜、それ3人で食べきれるの?というくらいの大量の肉、つみれ、油揚げ、御池産の巨大天然なめこ、更にシメのうどん3玉。すごい量です!!これがたろーさん流かΣ(゜Д゜;)
ボリュームもありながらとても美味しく、普段少食の私もガッツリ頂きました。流石にうどんにまではたどり着かなかったので明日の朝ごはんに残してご馳走さまです。
美味しいご飯と、2人はお酒も進み、話は尽きず腹一杯食べて気持ちよく就寝できました。後から入ってきた8人組が少々騒がしかったけどこの日は10時間睡眠なので前日の睡眠不足解消です。
明日はいよいよ八経ヶ岳を目指します。晴れますように。頑張るぞ~~(≧∇≦)
記) たばっち
<2日目:コース>
行者還小屋(7:40)~一ノ垰(8:45)~清宝ノ宿跡(10:05)~弥山小屋(11:10~11:40)~弥山(11:50)~八経ヶ岳(12:40)~船の峠(14:30)~楊子ヶ宿小屋(15:10)
昨日遅れて小屋に来たパーティーの出発準備の声で目が覚めます。まだ早いのにうるさいなあ・・・。昨日の鍋の残りにうどんをぶち込んで朝食にします。今日もがんばるぞ~。
同宿者がすべて出発してしまってからスタートです。小屋の外に出てみると一面の霧氷の世界、そして青空が。昨日ビュービュー吹いていた風は思わぬプレゼントをくれました。霧氷のトンネルの中を歩きますが、景色に見惚れ写真を撮りながら歩くので先に進めません。
最初は静かな霧氷回廊でしたが一ノ垰を過ぎ、行者還トンネルからの登山道と合流すると一気に人が増えます。さすが天気の良い休日の百名山。
きれいに整備された登山道を登ると弥山小屋に到着。ここで昼食にしますが、なんと小屋の営業が終了していました。ここで水を補給しようと思っていたのにどうしよう。
昼食の後は八経ヶ岳から南を目指します。多くの登山者は弥山で引き返すので一気に静かになりました。
弥山から楊子ヶ森までの道は今までよりも穏やかで(悪く言えば変化が無く)歩いていて眠くなる程。傾いてくる日を受けながら楊子ヶ宿の小屋に到着しました。
さてここからが大変。小屋から少し離れた所にある水場は渇水期のせいかまるっきり枯れています。まるで沢登りの下降のように崖にへばりついて水を汲みますが、身の危険を感じたので適当な所で戻ります。うーん、稜線の縦走は水の確保が難しいなあ。
楊子ヶ宿小屋は行者還の小屋を小さくしたログハウスのきれいな小屋。快適な部屋で夕食はなおちゃんが準備してくれたパスタと少しのお酒で楽しい宴。夜もゆっくり寝る事が出来ました。
記)たろー
<3日目:コース>
楊子ヶ宿小屋(7:30)~孔雀岳(8:30)~釈迦ヶ岳(10:10)~深仙宿(10:45)~大日岳(11:30)~太古の辻(11:50)~二つ岩(12:35)~小仲坊(13:30)~前鬼林道ゲート(14:05)
三日目、朝6時起床。この二日間、快適すぎる避難小屋で夜8時から朝6時まできっちり10時間は寝ているはずなのに、体が重く食欲もない…やっぱり疲れてるのかな。
でも今日はラスボス釈迦ヶ岳が待ってるし、頑張らないと。なんとか朝食を流し込み出発。すぐそこに見えるのになかなか近づかないとこがさすがラスボス。まぁでも快適な稜線歩きなんだけどね。
最後の激登りを突破するとそこは御釈迦様のいらっしゃる山頂。3人で握手をしてお互いの健闘を讃えました。
登ったからには下りなければいけない…足は相当疲れてるし大丈夫なのか?でもひたすら階段の整備された道で実はとっても楽でした。登りの階段は憎ったらしいけど下りの階段は天の助けでした。
下りた里は鬼の子孫が住んでいたという前鬼村。現在唯一残ってる五鬼助さまにお会いできたばっちは大興奮。彼女にとってはヒーローのようだ。五鬼助さまは鬼の子孫とは思えない優しい方で丁寧に道を教えてくれました。でもご高齢に見えるのにとにかくガタイのいい方でそこだけは鬼っぽいな。
三日間、平安の時代から続く修験道を歩きあらゆる場所に祈りの場があり、いにしえから幾多の人々がこの道を歩き、何を想い願ったのか、そういう事に思いを馳せながら歩きました。いつものように山に登ったというのではなく、山と歴史の中を旅したような感覚になりました。
これで女人結界を除き北奥駈道は歩き通しました。次は南奥駈道。今からとっても楽しみです。
記)なお
コメント入力