<コース>
美濃戸(8:05)~赤岳鉱泉(9:50)~硫黄岳(12:25)~横岳(14:15)~赤岳展望荘(15:30)
赤岳展望荘(7:35)~行者小屋(8:45)~美濃戸(10:40)
<A班>
たろー、ふみふみ、りー、おすぎ、やはてぃー
厳冬期の八ヶ岳の稜線、難所を無事に通過した直後、何でもない場所で雪を踏み抜き身体がよろめいた。まずいと思ったのも束の間、上下も分からない錐揉み状態で斜面を滑落していく。ただならぬ焦りと、どこかで引っ掛かり止まるかもという無理やりな楽観が入り混じる。間もなく身体に大きな衝撃が走り、意識が遠のいていく…。2020年はこんな初夢から始まってしまった。
今回の山行への参加を決めた時から、雪山への憧れと期待が大きく膨らんでいったが、その裏で不安感も大きくなっていたのだ。その不安感からか、余計な装備を持ってきてしまい、開幕直後から指導が入ってしまった。こんな調子で大丈夫か?
赤岳鉱泉までの道は無雪期に何度も歩いたことがあったが、厳冬期のそれは全くの別世界であった。渓流にはガラス細工のような氷が随所に張り、こんもりと盛られた路肩の新雪は、朝日を受けてキラキラ輝いていた。青空の下には霧氷が輝き、木々の一本一本が美しい。まるでアナ雪の世界である。見たことないけど。
上京したての田舎者のようにキョロキョロと心躍らせながら進むうちに赤岳鉱泉に到着した。頭上に夢にまで見た八ヶ岳の稜線が見える。かち割った氷のようなゴツゴツした陰影に圧倒される。かっこいい、しかしあんな所本当に行けるのか?あの場所を数時間後に歩くのであろう自分の姿が想像できなかった。
赤岳鉱泉からはいよいよアイゼンを履いての本格的な登りとなった。まだアナ雪の世界。少しも寒くない。こんな調子で小屋まで行けるかも。しかしそんな淡い期待は、一歩稜線に出た瞬間、容赦ない暴風と寒気に吹き飛ばされた。ついに八ヶ岳がありのままの姿を見せて来たのである。当然人間の方はありのままの姿でいられず、全員バラクラバとゴーグルでナントカレンジャーのような姿に変身。もはや誰が誰やら分からずウェアーの色で判別するしかない。
先程まで広がっていた青空もみるみるうちに恐ろしげな灰色の雲に押され、硫黄岳の山頂に着く頃にはガスってしまった。風と寒気はますます強くなっていくばかり、これが雪山の厳しさか…。東京に憧れていた田舎者が都会の厳しさに打ちひしがれた瞬間である。
硫黄岳の山頂写真もそこそこに、足早に歩を進める。いよいよ稜線歩きである。目には白と黒だけ、耳には風の音だけの、厳しくも気高く美しい世界の中を進む。途中、何度か霧の隙間から下界が見えた。雪は無く、いつもと変わらない日常がそこにはあった。今立っている場所とのギャップに不思議な感覚がした。
横岳の難所は、中々に高度感があったが、技術的にはそれほど難しくなく、案外スムーズに超えることができた。だが横岳を超えても油断はできない。あの初夢が正夢とならないよう、常に緊張感と隣合わせの縦走であった。皆も長時間の緊張とアイゼン歩行による疲れで、もうそろそろ小屋に着いて欲しいといった雰囲気になってきた頃、やっとの思いで小屋に着いた。
小屋の中は天国だ。この世界では暖かいということが何よりも貴重なのだ。普段は文明に隠れて気付かないが、暖かいということは生命の証ということに気付かされた。そんな砂漠のオアシスのような小屋ではあったが、窓の内側には冷凍庫の内壁に付くようなゴツゴツとした厚い氷が張り付き全く外が見えない。言わば冷凍庫の内外が逆転している状態だ。楽しく食事や宴会をしていても、我々は所詮、凍てつく世界に囲まれた小さな箱に押し込まれているに過ぎない。そう考えると、改めてとんでもない所に来てしまったという実感が湧いた。
晩御飯はなんとバイキング方式であった。選択肢の中に生ハムもあり、これが中々に熟成が効いた本格的なものであった。私は高校山岳部で残飯処理に慣れたせいか、山の夜はいつもフードファイターと化す。今夜も面白いように食べ物が吸い込まれていく。結局ご飯2杯、豚汁1杯をお替りしたが全く満腹感がこなかった。なんだこれは、食べ物が消えるイリュージョンか。
夕食後は狭い談話室に身体を寄せ合って酒盛りタイム。明日の行程の話となったが、強風と悪天候の予報に、メンバーの過半数が頂上ピストンはもういいやという雰囲気になっていた。稜線を十分に満喫し、もうお腹一杯である。一緒にして良いかは分からないが、イッテQという番組で、イモトさんが南米最高峰のアコンカグアにチャレンジする企画があった。あと少しという所で頂上を断念せざるを得ない状況となり、スタジオは残念という感じであったが、もしかしたら当時、当人たちは残念というよりかは、一刻も早く危険から逃れたいという一心だったのかも知れない。他人の気持ちを正しく推し量るのはいつも難しい。そんなことを考えながら眠りについた。
翌朝、予想通り昨日に増して風は強くなっていた。八ヶ岳の唸り声が小屋の隙間から聞こえてくる。好奇心からベースレイヤー枚で外に出てみると、3秒で樹氷と化しそうな凄まじさ。死ねる。一歩でUターン。その後、朝食を摂っているうちに外が明るくなり、バッチリ装備をきめこみ出発。外にでると皆、稜線での最後の景色を惜しむように写真タイムに勤しんでいた。
相変わらずの暴風ではあったが、視界はそこそこクリアであった。東に浮かぶ雪を被った富士山は、ちょうど昭和銭湯の壁画のようで見事であった。直接見たことないけど。赤岳の方を向くと山頂が黄金に輝いている。稜線上の雪が風に巻き上げられ煙のようになびく光景は、テレビで見る、エベレストとかそういう類の命がけ系のやつだ。登頂意欲が一気に挫かれる。
ということで大人しく下る。と言っても最初の下りが本山行最大の難所ということで、緊張感MAXである。これまでのアイゼントレーニングを思い出し、必死こいて下る。たろーさんはじめベテランの方々の手厚いサポートのお陰様で、見た目の恐ろしさに反して安定して下ることができた。同時に、正しく使用したピッケルとアイゼンは、もの凄い安心感をもたらすことを実感できた。難所は長くは続かず、またアナ雪の世界に帰ってきた。ここからの下りは大変快適であった。雪がふかふかなので膝への負担が少なく、ストックをリズミカルに使って半ばスキーのように滑りながらあっという間に美濃戸登山口まで下りてきた。
登山口まで下りてきた時の、たろーさんはじめ皆さんのほっとした笑顔が印象的であった。その時、今更ながら気付かされた。初心者を連れていく側の方が、その初心者本人以上に不安であるということを。その不安をおして、私の雪山へ行きたいという意思を尊重して参加させて頂いたことには、本当に感謝し切れない思いである。
何年も憧れてきた雪山への挑戦。今までは考えてばかりで無闇に恐れ、行動を起こせないでいた。しかし少しの勇気で人生に残るような忘れられない経験ができるのである。無闇に怖がるのではなく、少し勇気を出して飛び込み、自らの身で経験を重ねること。その中で恐れるべき点を知り、正しく恐れるようになること。雪山に限らず何だってそれが肝心なのかも知れない。
記)やはてぃー
☆B班☆
ホワイト&ブルー
<B班>
なべちゃん、山さん、あこ、ショーコ
個人山行で経験あった赤岳-硫黄岳の縦走路。この区間は風が強いと有名ですので、不安と期待が混ざった心境の中での参加となりました。
また、今シーズンのアイゼントレーニングの最終ということもあり、教わった事を実山行で生かされるか?という事もありました。
硫黄岳手前、樹林帯までは問題なく登る事ができました。赤岩の頭から硫黄岳までの登りは、アイゼンの前歯を、ピッケルはダガーポジションを使って登る事が出来ました。
硫黄岳〜横岳までは本当に風が強く、自分自信も恐怖を憶えるくらいでした。また、ナイフリッジや梯子もあり、アイゼンでつまずかないように注意して進むことに集中しました。
天候のため、赤岳に登る事はできませんでしたが、アイゼントレーニングの実践を兼ねた山行に参加でき、あの区間を歩くことで、ステップアップできました。
不十分な事も知る事ができたので、これからの山行で、技術の補填をしていきます。他の参加の皆さん、ありがとうございました。
記)あこ
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